こんばんは!今日のあなたは自分以外の何かに心が寄り添うことができましたか?
その誰かを思いやるイメージが直感に繋がりますよ〜
さてさてさっそく昨日の続きです。
人々の多くは根底に穢れ(けがれ)という観念があります。
ケガレとは「気枯れ」とも言われ、身体や行動や場所やものが理想的や正常(清浄)
ではないとされる状態を指します。
女性の月経が穢れと言われるのも、心身ともに通常の状態ではなく特別な状態だから。
穢れと汚れを混同して、男女差別だとおっしゃる方もいますが、ただ単に常ならざる状態を
表す言葉です。
まあいちいち説明しなくても、皆さんも感覚でわかっていらっしゃると思います。
子供のころのエンガチョ遊びなんかは穢れを伝染させる遊びですからね。
穢れている対象物に接触すると、別のものまで穢れがうつるという観念は
穢れが発生すると、個人だけではなく、属する共同体まで穢れると
考えられてきたからです。
もののけ姫のアシタカも祟り神という穢れと接触したので、村から出て行く羽目になりましたもの。

しかし罪や穢れは禊(みそぎ)や祓(はらえ)によって浄化できるとされていますので
パワースポットに行ってすっきりしたい、癒されたいという思いは穢れを嫌がる
気持ちがあるなら不変的なものでしょう。
古事記・日本書紀では日本を作った伊耶那岐命も川の中で禊し、穢れを祓っていますからね。
ただ人々の罪穢れをのみこんで浄化してくれる場所や自然の気持ちに胡坐をかかず
感謝の気持ちを持っていただけると有難い

パワースポットと呼ばれる場所は、ほとんどが昔から人々の祈りの場です。
自然崇拝とは自然を崇め、敬い、感謝する人間の気持ちです。
そこは昔から人々が何かを感じ、何かを感謝した存在が「いる」「ある」場所なのです。
あなたは誰かが敬っている人から不躾に何かを奪えますか?
自分勝手に汚しますか?
パワースポットで実際に起こっている問題として、この奪うという行為が非常に多いです。
昨日の記事で一番最初にあげていた画像は某神社の磐座(いわくら)といって神様が宿る場所です。
昔はこの磐座の側に近づくことができましたが、今では立ち入ることができなくなりました。
それは、この神社がパワースポットとして有名になるにつれ、
御神体であるこの磐座を削る人たちが出てきたから。
本当に悲しいなあ

逆に奉納などではなく、自分勝手に何か物品をそこに残してくるという行為。
これもその場を別のエネルギーで穢していることですよ。
自分ではいい品物だから感謝として残したいとしても、それはその場にとっては
今までなかったもの=正常ではない状態になるのです。

以前聖地と呼ばれる場所に行ったとき、そこに誰かが勝手に祭祀のようなものを行った
残骸が残っていて、これもとっても悲しくなりました。
それらはその聖地にとっては明らかに異物でした。
奪う、穢すという行為の連続でその地の持つエネルギー自体が疲れだしていたんです。
もしあなたがパワースポットと呼ばれる場所に行かれるときは
何も奪わない、何も押し付けない。
残すのは感謝という愛だけであってくださると有難いです。
以前も神社参拝のススメで書きましたが、鎌倉時代にできた法令「御成敗式目」の冒頭文を
締めとして書いてみます。
「神は人の敬いによって威を増し、人は神の徳によりて運を添う」
この神という言葉をパワースポットに置き換えて心に留めていただけると嬉しいです。
それでは今夜もお休みなさい。明日のあなたが奪わず奪われませんように

今日のテーマソング Enya - Orinoco Flow -
その人らしく生きていける楽しい世の中を願って!
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Love&Thanks&Happy!あまうず